つんくさんから思い出す事。

今日は風が強かったですね。明日は雪のところがあるようです。

先日、芸能人のつんくさんが失った声帯を取り戻すリハビリをしていて、少しずつ声が出てきたというニュースを耳にしてとてもうれしく思いました。

歌手でデビューしてヒット曲もあり、そのあとモーニング娘をプロデュースして一躍有名になりました。そして結婚してこどもをもうけた途端に体調が崩れ、声帯を手術することになったようです。

彼は「病気になったら病院は一つだけでなくセカンドオピニョンを必ずうけること。お医者様に申し訳ないと思わず自分のからだは自分で守ること」と仰ってました。そして病院の批判は一切せずに「自分を内省するいい機会だ」とおっしゃっていました。「つんく イラス...」の画像検索結果

凄いですね。大病をした本人だから言えること、経験を踏んでいるから言えることですね。そして診断結果をミスした病院を責めないし、なんて男らしいんだ!と思いました。

私はつんくのことを、歌手の時にはなんかホストっぽくて色気があり、歌もうまいんだけど、ちゃらい!と思い関心もありませんでしたが、今回のことで見直しました。

その経験と辛さを乗り越えたことで、この後また胸打つ歌や曲ができるんじゃないかと思うと心から応援したいです。

そして、ふと思い出しました。5年前に脳梗塞から肺炎を併発し、のどを切らないと呼吸できないと言われ、気管切開して晩年は声を出せず、筆談で会話していた義父のことを。

最後は病院の個室で完全介護の生活でした。

1年近くの義母の毎日の病院通い、大変だったと思います。

そして私たち夫婦も仕事の合間をぬってお見舞いにでかけ、交代で食事のヘルプをしたりしました。

その時、夫は社会人大学院生で博士号を取るために論文漬けの日々を送っていました。日々の生活を支えるための仕事と院の勉強の2足のわらじで、席の温まらない毎日と、パソコンのキーを打ち続ける目から血がにじむほどの毎日でした。「パソコン 徹夜 ...」の画像検索結果

段々憔悴してくる義父、やせ細ってくる義父、栄養は点滴だけとなりました。それでも私は時間のあるたびに足つぼマッサージをしたり、筆談をしたりしました。あ、あの時に筆談のコミニュケーションボードを貸して頂いたお客様ありがとうございました!「コミュニケーシ...」の画像検索結果

そして看病に通う義母にも、疲れが目に見えはじめてきたころです。

いつものように二人で病院の個室に行きました。いつになく目力の無い義父でした。握る手もなぜか力がなく・・・

そして、なぜか私は「お義父さん、頑張ったね。よく頑張ったね。でも大丈夫だよ。もう頑張らなくていいんだよ。」と言ったのです。

病室の窓には2月の寒々とした夕暮れが迫ってきていました。

何故かその時、私はお義父さんに「赤とんぼ」の童謡を聞いてもらいたくて、お義父さんの耳元で低く赤とんぼを歌ったのです。1番は私、2番は主人が歌いました。ひくくひくく・・・

ゆうや~けこやけ~のあかとんぼ♪おわれてみたのはいつの~日~か♪「赤とんぼ イラ...」の画像検索結果

そしたらお義父さんが遠くを見るようにまるでお義父さんの少年時代に思いを馳せるかのように目を細めたのです。そのころは殆ど目の動きが無い義父だったのです。穏やかな顔でした・・・

そうしてそのあと静かに目を閉じたのです。「お父さん眠ったね。帰ろうか」と夫にいわれ病室をでました。

そして翌日義母から義父の危篤の知らせがありました。

苦しまずに、安らかな表情での御臨終でした。

お医者様は「御臨終のあともお父様の魂はここにあるのでお声をかけてください」とスピリチュアルな言葉をかけられました。なんて優しいお医者様なんだろう!と思いました。「天国 イラスト ...」の画像検索結果

つんくの病気から最後ことばを失って逝去されたお義父さんを思い出しました。話したかっただろうな。もどかしかっただろうな。最後は何を言いたかったのだろうか?などと考えます。

2月が命日です。お墓詣りでお話して来ようと思います。

つんくからお義父さんのこと思った日でした。