やりすごすことが出来ない時は話しましょう。

今日も1日中雨模様でした。

公園の木々の乾いた葉っぱが雨に濡れ、地面に落ち、誰も乗らないないブランコは晩秋の寂し気な季節を見事に表現していました。

ある本で読んだ一節に「この世を生きていくためには不快なことがあった時には、そのことに対してじっくり向き合ったり、膨らませたりしないで、やりすごしてしまうことが大切なのだ。」とありました。

でも、本当にやり過ごすということは、時には当事者にとっては大変難しいことでもあるのです。

人との交流するということは、人と交わって嫌なことがあってもそれを水に流して、流して、どんなことがあってもやりすごすことだといいます。

そのやり過ごす癖がついて気が付いたら無事に一生を終えていたという人もいるでしょう。

しかし、やりすごせずに、その思いが溜まって、時には塊かたまりになって、スライムになって、心だけならいいが、体にまで塊となって巣くってしまうかもしれません。

そして、それがあるとき体の異変になり、病気の発症になったりするかもしれません。

癌という字はやまいだれに口が三つで山盛りと書きます。

癌になる人は日ごろからの愚痴や不満が多いからとこの字になったと言われますが、反対に今の時代は愚痴や不満を言わずに溜めてこんでしまい、表面はいい人を取り繕っている人がなりやすいといわれるようです。

知らないうちに病気の巣を作らないためにも、やり過ごすことができなくなったら、無理にその思いを封印しないで話した方がいいと思います。

ポジティブに!と言われてもネガティブを吐き出さなければポジティブの入る余地もないのです。

話すことは離すこと、そして放すことなのです。

そして言えなかった過去の恋愛の思い出も・・・大丈夫です。

話すことは過去の思い出の成仏のお手伝いでもあるのです。

お手伝いさせてください。