生きてさえいれば何度でもやり直せる!
以前アップしたブログがお客様からリクエストされたので再度抜粋してご紹介します。
2015年の暮れごろ、何故か仏教をひもとき、私は、レイキと併用しながら、在家僧侶の勉強をチンタラしていたのでした。
人生を豊かに生きていく為のお坊さんの爪の先ほどの勉強です。
それをやり始めたら次から次へと今までにない試練がやってきたのでしたが、それでもひとつずつ乗り越えてきたようです。
出家在家を問わず、人間生活を営む上で守るべきもの、とされるのは五戒と言われるものです。
ここでは、五戒の法話として、佐藤勝彦先生著【わかりやすい仏教ガイド】から引用させて頂きます。
”ある男が酒を飲んでいました。
いい気分になっていたようですが丁度、男の庭に隣家の鶏が舞い込んできました。
男は酒の肴にと思いその鶏を捕まえ殺し食してしまいました。
ついで隣家の奥さんが鶏を探しにやって来ました。
男は欲情を抑えきれずに彼女に邪淫をはたらいてしまいました。
そして、役人が調べに来た時には、知らず存ぜぬでうそをつき通しました。
でも嘘がばれて御用になりました。」
これが五戒を破った男の物語だそうです。
つまり酒がもとで(不飲酒)、不偸盗(盗みをしないこと)、不殺生(あらゆる生き物を殺さないこと)、不邪淫((不倫をしないこと))、不妄語(嘘をつくこと)の戒を犯してしまったのです。”
いわゆる五戒とは【酒を飲まない。盗まない。殺さない。不倫をしない。嘘をつかない】の5つなのです。
世の中のいろんな事件もこの五戒からはずれる時に起きたりするようです。
特に、殺さないというのは他人ばかりではなく、自分をも殺してはいけないのです。
昨今の痛ましい事件などもこれらが原因のことも・・・
そして軽く嘘をつくこと。
これがいずれ嘘に嘘を重ねることになり、苦しくなり、いずれ大ごとになり、果ては、自分も他人も傷つけることに発展したりもします。
五戒を生きてるうちにまっとうできる人って、聖人君子か宗教家かお坊さんでしょうか?
今は在家僧侶さんでもお酒は許されるそうですが。
日本には仏教という、宗派にかかわらず素晴らしい教えがあるのです。
学ばない手はないのではないでしょうか。
人間の生きるうえでの最低限のルール、お若い方へのカウンセリングには僭越ながら、時に、私はこの五戒を最後にお話します。
そうすると初めて聞いたという方が大半で、夢から覚めたように身を正す方もいらっしゃいます。
昔は近所のおじいちゃんおばあちゃんが教えてくれたものですが、今はこんな時代になり、ましてコロナ禍でソーシャルディスタンスですもの!
悩みや事の結末が、酒が原因だったり、家庭のある人を好きになったり、人の恋人を奪ったり、おおっているつもりでも、いつか白日の下にさらされることもあります。
因果応報は確かにあるようです。
かくいう私も若かりしころはご他聞に漏れず、お酒に溺れた日や、不毛の恋に身を焦がしたことも幾度となくありました。
そのころは自分を中心に世界が回っているような傲慢さで、この五戒を全く知ることも全くありませんでした。
愚かでした。
でも今、人生の後半になってこの五戒を知ることが出来たので良かったと思います!
今悩んでいるお若い人も、熟した人も、つらい事はいつかは過ぎ去るのだと思います。
そして、何故ならそれはその人に必要だから起きるのです。
誰しも正道ばかりの人生を歩いているわけではないのです。
でも今生きている人生では、軌道がずれたとしても、何度でもやり直しができるのです。
その為の人生でもあるのだから・・・
でも、自ら死んでしまったら、そのやり直しの機会も与えられなくなるのです。
瀬戸内寂聴さんは、出家して、【男と酒をどちらかやめなさいと言われて、男をやめたそうです】
これから先、私も楽しいお酒や、乾杯のお酒は人生を彩るために縁はきれないでしょう。
しかし、度を越した酒量はやはり人生を踏み外すきっかけにもなるので気を付けたいと思います。
そして嘘もできればなるべくつかず生きていけたらいいのですが、そうもいかない時もあるでしょう。
ま、嘘も方便と言いますが・・・
いずれにせよ、時にケセラセラ、そしてまた精進していきます。
今日は、転ばぬ先の杖・・・日本人であるからこその「仏教の五戒」について書いてみました。(ちなみに私は宗教家ではありません)