カタツムリ

小さい頃、私はカタツムリとナメクジは同じ生き物だと思っていた。だってナメクジもカタツムリも胴が滑らかで形もむにゅむにゅして、さわるとべたべたしていた。
角も同じ形と本数があったから。そして同じ肌色をしていた。ナメクジは外出する時にあの渦巻きの貝殻をかりて即座にカタツムリに変身して、外敵から身を守っているのだと思っていた。

でも決定的な違いはあった。
6月の朝6時50分ごろ、朝露にぬれたアジサイの大きな葉っぱにのっかりアンモナイトの様な渦巻きの貝殻を身にまとい、優雅に角を出したりひっこめていたりするのはカタツムリだ。素敵な被写体だ。

一方ナメクジはしめりっけのある庭の土の上を梅雨時に這い蹲りながら進む。背中の貝殻がない為に、絵にならない。ナメクジが出現すると、大人たちは口々に「塩をかけるとナメクジは小さくなる」という。
私も一度だけナメクジに塩をかけたことがあった。目の前でシューと音をたてて胴が縮んだ。びっくりした。あれから二度とナメクジに遭遇してもあの音を思い出し、近づかないことにした。そして遭遇した時心の中で「あの時のなめくじさん。ごめんね」とあやまっている自分がいた。

6月のしとしと雨に濡れたアジサイの葉っぱにのっかっているカタツムリ。君は背中の貝殻でどんなに助かっているかわかるかい?その愛らしさで大切にされ、まして絵になるから童話にまでなってしまう。でも、もしかしたら貝殻が重くて歩行するのが大変かもしれないんだね?見た目は綺麗だけど実はカタツムリの本心は「殻が重いよ~はずしてくれよ~僕はナメクジになりたい」と不満があったりしてね。でも、そんな重しがあるから回りから大切にされ、ナメクジのように塩をかけられることもないんじゃないの?

ナメクジは背中の殻がないから自由だ。どこに行こうと自由だ。
もしかしたら、「俺はカタツムリみたいに荷物がないからラクチンだぜ!ヘッヘッヘ」と思っていたりして。でも気持ち悪いからすぐ塩をかけられたりされて、寿命を短くされてしまう。

どっちがいいのかな?カタツムリとナメクジの寿命はカタツムリが長いんだろうか?

ならば、人間も適度な重しを抱えて、時にはそれをストレスに感じながらも、エッチラオッチラ毎日を暮らしていくのが幸せなのかもしれない。重すぎず、軽すぎず・・・ってとこかな?

カタツムリさん。ありがとう!君のおかげで少し、大人になったような気がする。

追記 :雨を見てたら以前書いたこのポエムを急に思い出しました。自然界の生き物は見方を変えると何か私達に教えてくれている気がします。