憎しみを生産的エネルギーに変える。
人は誰かに憎しみを持った時、その時点でその人は生きることをやめて、死んでいることになるという。
憎しみを生産的エネルギーに変えるにはよっぽどのきっかけやタイミングが必要となる。
そしてその憎しみを話す場所がなければおもいは積年の恨みになる。
そういえば「誰にも話せなかったことを話したらすーっと軽くなった」と仰る方がいた。
話して離そう。
秘めたる恋心は、話せず、思いが発酵したものが、絵になり、歌になり、文学にもなる。
されど恨み憎しみは、残念ながら、結果的には、自分のからだや心に矢を放ち自分を蝕むだけなのだ。
憎しみのベクトルは相手ではなく自分にむけられるものなのだ。
それを自覚しよう。
憎しみを感謝にさえできる道のりは険しい。
でも話すとその憎しみの勾配はやわらぐかもしれない。
この限り或る人生を、どこかで毎日誰かの命の寿命が消えている、どこかで戦争が起きて罪もない人の命が消えていく中で有難いことに私たちはこうして生きているのだ。
衣食住なんとか足りている。
なのに、そしてもっともっと高みを目指そうと、誰かに負けまいと必死になっている。
しかし、その高みを目指す人たちが頑張っているお蔭で日本の経済は保たれている恩恵もあるだろう。
それには感謝しなければいけない。
しかし、例えば三峰神社を作るとき日本武尊ヤマトタケルノミコトが日本をここから始めようという思いで、心からの湧き上がる純粋な思いで、お供の二匹のおおかみと共に建国した意思とは少し温度差があるだろうか?
時代の変化。
資本主義国家に生まれての悲しい性さが・・・
恩恵にはあずかるが失われてしまう日本の古き良き伝統、習慣、おもいやり、残念な気もする。
競争社会が生んだ結末・・・
だけど、いいじゃない。
少しぐらい休んだって。
いいじゃない。
人と話せなくたって。
拍車のかけすぎ・・・
私事で申し訳ないが、私は高校生の時、父を亡くしてから、赤面症であがり症で友達も作らなかった時期がある。
その時は母も不在で4人の兄姉だけが私の面倒をみてくれた。
休み時間は何故か友達と話すのが嫌で、トイレの中で購買からかった調理パンとビーンズパンで昼を過ごした。
みじめな季節だった。
今もあのパンを目にすると当時の孤独を思い出す。
でも、今思えばよくああいう季節を過ごしよく卒業できたなと思う。
きっと合唱部に入っていたから救われたんだろうな。
それと兄姉の存在が自分を支えてくれたのだと思う。
そして高校は無事卒業した。
そして今こうして生きている。
そして多くの出来事に遭遇したおかげで、なんとか憎しみを感謝に変えられるまでになれた。
それもネガティブな思いを私に抱かせた人のお蔭かも知れない。
自分にとっての悪役の人のお蔭で成長させられるのだ。
憎しみのエネルギーを生産的エネルギーに変えるのだ。
それには話すことだ。
いつまでも降り続く雨はないのだ。
そして生きてさえいればなんとかなる。
そして心の中の真っ黒な粘度の得体の知れないものを取り出して、話して離してみよう。
一歩だけ踏み出してみよう!
(表題の言葉は心理カウンセリングの大家の加藤諦三先生の言葉を引用しました)