手作りの野菜たちが教えてくれた・・・
今日は空が真っ青ですね。
お蔭様でお洗濯ものが良く乾きました。
朝からお客様の健康について嬉しいニュースがあり、胸をホッと撫で下ろしました。
よくセカンドオピニョンされ、信頼できる医師にたどり着かれました。
おおごとにならずホント良かった!
I様、今度ご来店の時ゆっくりお話し聞かせてください。
それから、もう一つ嬉しいのは実家の兄夫婦が手作りの野菜を送ってくれたことだ。
真っ直ぐな大根、土のついたネギ、可愛いふっくらとしたいものこ、強そうなとろろ芋、まあるいキャベツに、形のいい白菜、そしてジャガイモ。
なんか野菜たちが丁寧に育てられて温かみがあったなあ。
兄夫婦は二人とも定年退職をしてからは第二の人生を豊かに過ごしているようだ。
定年退職しても、すぐに仕事を見つけ規律正しく働き、畑も作りながら、休みにはお互いの趣味を楽しんでいる。
この間も兄はゴルフの帰りに、義姉は身内と会った帰りに私たち夫婦に飲もうと声をかけて下さり、新橋で4人で飲んだ。
居酒屋でビールを飲み、つまんで、2軒目はカラオケボックスで私達だけ歌うのを聞いてくれた。
ごちそうさまでした~
血のつながりというものは有難いものだ。
兄夫婦は兄というより、父を亡くしてから親代わりになってくれて、親の様なものだ。
短大の入学式や卒業式にも親として出席してくれていた。
こんな、積み上げては壊し、積み上げては壊しの連続だった不肖の妹にいつも愛情をかけてくれて、困ったときはいつも助け船をだしてくれていた優しい兄だ。
兄夫婦は毎日朝5時に起きて二人とも教職を続け、子供二人を育てながら頑張った。
今は長男は結婚し孫も二人生まれた。
長女は都会でキャリアウーマンでシングルを謳歌していている。
それまでは、辛いこともあっただろう。
身体を壊したこともあっただろう。
人に言えない悩みもあっただろう。
そんな時、私は東京と離れていて、兄夫婦の幸せそうな表面しか知らなかった。
今、兄孝行をしているとしたら、少なくとも、一人でいることがなく、優しい夫と所帯をもつことができて兄弟姉妹を安心させたことだろうか。
今でも思い出すのは、兄が25歳の時、父が亡くなって、3日後までお葬式が出せなかった。
兄は、三日三晩父の棺桶の横で、まるで父と会話をしているかのように、父を守っているかのように布団を敷き寝ていた。
私などにはとても真似のできることではなかった。
あの時に長男の責任というものを感じたのだろうか?
一家の大黒柱として、強くならなきゃと言い聞かせたのだろうか?
そしてギターも歌も英語もみんな兄が始めたことだった。
その影響のおかげで、今の私があるのかもしれない・・・
有難いことだ!
そして、義姉は私が東京で一人暮らしをしていて、恋に敗れずたずたになっていた時、手紙をくれて「この間お掃除していたらポケットからお金がでてきたの」と書いていて封筒の中にはお金が入っていた。
そのさりげない優しさがとても身に沁みたのを思い出す。
東京の女子大をでて、お嬢様で育ってきたのに、田舎に嫁いで兄をよく支えてくださっている。
有難うございます!
思い出せば数々の親でもできない愛情や援助をもらった。
私は、私たちは愛されていたんだ!となんか胸の中があったかくなった。
今日は手作りの野菜たちの顔を見ながら兄夫婦への感謝の心が湧き上がった日だった。
いつか恩返しできるまで頑張ります!
お二人ともお体大切に。
来年のお盆は頑張って二人で遊びにいけるようにします。
行ったらまたカラオケみんなでやりたいな~
楽しみにしてます!